タンゴの解説記事としては、杉本彩さんのインタビュー記事がすばらしいのでログしておきます。
よく、タンゴは人生そのものといわれます。
それは、非常に哲学的であったりするわけです。
http://trendy.nikkeibp.co.jp/lc/cover2/080521_dance/
(インタビュー・文=山田真弓 写真=厚地健太郎 スタイリング=志葉則行
振り付け・指導=麻丘真吾、東山明日香)
タンゴが生まれたのは、さかのぼること130年ほど前。当時、多くの移民者が集い人種のるつぼと化したアルゼンチンの港町で、フラストレーションのはけ口として踊られたのがその始まりだという。タンゴはやがて、ヨーロッパに輸出され、ソーシャルダンスにも組み込まれていく。
日本にも「タンゴ」は古くから親しまれてきたが、それはソーシャルダンスのタンゴであり、「アルゼンチンタンゴ」となると事情は変わる。ブロードウェイで大ヒットしたショー「タンゴ・アルゼンチーノ」が1987年に日本で上演されてようやく、存在を知られるようになったくらいだ。
日本において、早くからアルゼンチンタンゴを踊り、普及させてきた麻丘真吾と東山明日香のダンサーペアに師事し、現在ではショーやレッスンまで行っている、女優の杉本彩さんに、人生をも変えてくれたというアルゼンチンタンゴの魅力を聞いた。
アストル・ピアソラからアルゼンチンタンゴへ
日本人にはソーシャルダンスの方がなじみが深く、アルゼンチンタンゴというとソーシャルダンスのなかの一つだと思われている方もまだまだいらっしゃいますが、もともとタンゴはアルゼンチンで生まれて、イギリスに渡り、そこでソーシャルダンスとして洗練されたものがソーシャルダンスのタンゴなんですね。
私がアルゼンチンタンゴの存在を知ったのは、実際に踊りだすよりも前、20代半ばのころでした。アストル・ピアソラ(1921年-1992年)の曲がすごく好きだったんです。
その曲で踊りたいなと思ったときに、それならばタンゴだろうと。
ダンスそのものは子供のころからクラシックバレエ、モダンバレエなどを習い、ジャズダンス、フラメンコなども踊ったことがありますが、12年前にソーシャルダンスを始め...それで、9年前に番組でアルゼンチンに行き、タンゴに行き着きました。
表現することは、人間として気持ちのいいこと
もともとペアダンスが好きだということがベースにありますが、ソーシャルダンスではなくアルゼンチンタンゴを、というのは、二人だけの世界が楽しめるからですね。
ソーシャルダンスはやはりスポーツ競技で10種目あり、少なくとも5種目を極めていかなければならない。それよりも私は、ひとつのことをグッと探求していくほうが向いている。
ソーシャルダンスはベーシックに忠実に、基本に沿ってやらなければ認めてもらえないところもありますが、アルゼンチンタンゴは自分ならではのオリジナルが生まれてくることを良しとしますから、自由で楽しいんですね。
私にとってアルゼンチンタンゴは、心の表現がしやすいというか、人間臭いものなのかもしれません。つまり、踊っている人が無心になって自分の心の中に沸き起こる何かを表現することに迷わず没頭できるのが、このダンスだと思うんです。踊りのすばらしさや楽しさに触れると、自分を表現するということに、照れくささや抵抗はなくなり、自然と踊りたいという気持ちになるものです。なぜなら、心を解放し自分を表現することは、人間として気持ちのいいことだから。
まだまだそんな喜びを知らない人がたくさんいらっしゃるのだと思いますが、それを鮮明に体感できるのがダンスなのです。
技術だけでは表せない、生き様や価値観、思想、すべてが反映されてくる
とくにペアで踊ることの魅力は、言葉のない会話が成立することです。
同じペアで踊るにしても、私にとってソーシャルダンスとアルゼンチンタンゴは違います。アルゼンチンタンゴの精神は、人生そのものだということです。ダンスが年齢を重ねるごとに成熟していく。
ソーシャルダンスはスポーツ競技だといいましたが、それはつまりスポーツであれば年齢的・肉体的なピークというものがあるということ。でもアルゼンチンタンゴはその年齢ごとに踊りの味わいが出てきます。若くて体が動くから良しとされているわけではないというところがあると思うんです。
その人が歩んできた人生の味わいが踊りに還元されて、それが見る人の心を打ったり、哀愁のようなものを感じさせたりする。それはタンゴならでは。
技術だけでは表せない、生き様や価値観、思想、すべてが反映されてくるんです。
もちろん私自身も、9年前、5年前、そして今では踊っているタンゴはまったく違う。私の中でのタンゴに対する解釈の仕方も変わってきていますし、自分という人間を通して出てくるもの、自分の人生を通して出てくるものがまったく異なってきているんです。
今のほうが、タンゴをしっかりと理解しているというところもありますし、いろんな経験が伴って、人間のさまざまな悲哀をよりいっそう感じることができるようになっていますね。
魂が反応するピアソラの「リベルタンゴ」
アルゼンチンタンゴを踊るようになったきっかけであるピアソラもそうですが、私も異端児や革命児とは言われますね(笑)。
でもだからこそ、彼の曲にのめりこむところもあります。
ピアソラの曲でいつも心が熱くなるのが、「リベルタンゴ」(1974年)なんですが、この曲にこめられているのは、ピアソラの人生そのものだと思うんです。精神の自由を求めて作られたもので、彼の思い、生き方が集約されているからこそ、私自身の魂が反応してしまう。
それは若いころからそうでしたが、ただ当時はその理由がわからなかった。この年代になって、「リベルタンゴ」にのめりこむのはなぜか、ということを、ようやく自分の言葉で説明できるようになってきました。
ですから、9年前にアルゼンチンタンゴを踊り始めてからは、必ず私の定番にしている曲です。「リベルタンゴ」の解釈の変化とともに自分の人生があるといっても過言ではない。とらえ方がじょじょに変わってきています。それと同様に、自由に対する信念のあり方や覚悟も変わってきています。今ではそんな自由に伴うリスクも含めて自由を愛していますが、やはり若いときには迷いもありました。それは踊りにも反映されていたことでしょう。
今のほうが、自由がいかに厳しいかということがわかっていますし、同時に自由がどれほどすばらしいかということもわかっているということはありますよね(笑)。
そもそも人間は、苦しみや哀しみのなかからしか変わらないもの。楽しいだけでは何も変わらないし成長しない。楽しくてどんどん転落していく人はいますけれど、楽しいだけで向上していく人間は1人たりともいないんです。
いい意味での変化というのは、苦しみや哀しみの中でしか成立しないんです。
たとえば私も時間的にも肉体的にも厳しい状況でなぜやり続けるのか、なぜこんなに大変なことをしているのかと思うことも正直ありますし、体が故障することもあります。でも踊り続けることができているのは、結局、自分の「魂が喜ぶ」ということをリアリティを持って実感しているからだと思います。
今、私は二人の先生と一緒に週一度、教えていますが、なかには小学校のフォークダンス以来、踊ったことがありませんという方もたくさんいらっしゃいます。でもその方たちも時間をかけてやり続けることによって習得していく。その気になればいつでも始められるんです。そして今までダンスに触れたことのなかった皆さんが、ダンスによって人生そのものに大きな影響を与えられているということを目の当たりにするにつけ、改めてダンスのすごさを実感します。
たとえば、少しうつ病を抱えている方が明るくなることもありますし、外出することが億劫だった方でも私が定期的に開くパーティーに出かけることの楽しさを知ってくださったり、社交の場が広がったり。ちょっとしたことで人生がこれほど変わるということに気づく、そのきっかけがダンスになれば、昔から私が目指している「日本人ラテン化計画」(笑)が達成できるかと。
タンゴは精神性を高める「気」のやり取り。
アルゼンチンタンゴを踊ることと美への追求は、もちろんリンクしています。
当然スポーツをしているのと同じくらいの運動量があるわけですから、肉体的な面でもそうですが、それ以上に魂を活性化させるものだと思うんです。
情熱を傾けるということ。それから「気」のやり取り。
リードしてくださる男性とリードされて踊る自分との「気」のやり取り。そうしたことは、自分の精神を高めてくれます。もう、ある種の修行にも近い(笑)、すごく繊細で大変なことだったりするんですよね。それを極めるにはただ体を鍛えればいいということではなく、精神性を高めていく必要があるんです。
もちろん私も最初のうちは、なかなか体で理解できない、ステップのコツ、リードが伝わってこない、そのリードをどうやって解釈したらいいかということをキャッチできないということが歯がゆかった時期があります。
アルゼンチンタンゴは男性が女性にこうしてほしいということを、言葉ではなく、体と気で伝えるので、全神経を集中させ敏感にキャッチして体で反応しなければならないから、非常に難しいんです。本当に今ようやく、ある程度のことが感じられるようになった、研ぎ澄ませるようになりましたが、当初はなかなかそこまでキャッチできず「なんでこんなことがわからないんだろう、できないんだろう」といらいらしたこともありました。
今は表現者として、ただ上手く踊っているだけではいけないと思っています。自分独自の世界観を創造し、パフォーマンスのオリジナリティを探求する、今はその段階になっています。自分にとってのタンゴを見つけていくということ。それは楽しくもあり、苦しい作業でもあります。
私の人生においては美への追求に関しても、アルゼンチンタンゴは大きな影響力を持っています。それは肉体面と精神面と両方が磨かれてこそ、本当に美しい人だと思うから。
どうしても、「これだけやっていればいい」という安易な捉え方をする方も多いと思いますが、これさえやっていれば大丈夫という、楽な手段は何一つないと思うんです。
常に自分は何をするべきか、把握していることが大切です。みんながみんな同じことをすればそれでいいというわけでもない。自分にとっての何かを見つける。
それが私にとってはアルゼンチンタンゴだったりするわけですけれど。
もっと自分の人生を輝かしいものにさせたい
今年、40歳になりますが、これからはますます自分が「コレをやって行きたい」ということに、より時間やエネルギーを注いで行く時期なんだなと、身の引き締まる思いがします。
今までの人生はそれをやるための準備段階だったと思うんですね。これからは本当にいろんなことに腰を入れて、自分が積み上げてきたものを開花させていく、すごく大切な時期なんだと捉えています。
この年齢になると、いっそう人生を真剣に捉えざるを得なくなる。人間は年とともに死に対してのカウントダウンをしているわけです。ですから余計にもっと自分の人生を輝かしいものにしたい、真の幸せは何かということを探求したいという思いが、強くなってきています。